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同性愛者(♀)が独特の視点で恋愛とモテる方法について考察します。

男が許容できるこじらせ女子の臨界点はどこか?~“ちゃんとしてない”こじらせ女子たちへ~

いつも読んで頂いて有難うございます、ホニホニです。
近年、女子のこじらせ物語ってとても流行ってますね。
私も最近こじらせ小説をひとつ読んだので、そちらの紹介をしながら女子もモテについて考えたいと思います。

「虹色と幸運」にみる、こじらせ女子のリアルな描写

読んだのは柴崎友香さんの「虹色と幸運」という小説です。

虹色と幸運 (ちくま文庫 し 49-1)

虹色と幸運 (ちくま文庫 し 49-1)

 

大学時代に友人だった3人の女性がそれぞれ30代に入り、日常のささいな出来事の中で結婚や子育てについてあれこれ考える、という内容です。

作者の柴崎友香さんという方は確か純文学系の作家さんです。だからか、さらっとしていてあんまり起伏のない内容でした。
でもネット上での評価は概ね良いのでいい小説なんだと思います!
私は二倍返しやー!とかそういうのが好きな人間なんで、気にしないで下さいね。


 あと物語の世界にいまいち入り込めなかったのは、私がレズビアンだからでしょう。
ほぼ同世代の主人公たちなのですが、あまり共感できませんでした。
どうしても男性的目線から主人公の女性たちを見てしまいます。

例えばこんなシーン。
主人公の一人、水島珠子は独身。友人から男性をたびたび紹介して貰うのですがどうもしっくりきません。
焦る珠子の前に、昔告白して振られた男友達が偶然現れます。
以前に振られた気まずさを乗り越えて、たびたび会うようになる二人。でもまだ付き合うに至るには勇気の出ない珠子。
だいぶ仲良くなったある時、飲み屋で珠子は彼にこんなことを言われます。

「水島さんって、前は、訳わかんないことっていうか、つまんないこと言う人だと思ってた」
「え?なんだっけ?なんか言ったかな」
珠子は多少うろたえつつ、だけどあまりにもピザがおいしいので次の一切れに手を伸ばした。
「自分は卵をパックから出さないまま冷蔵庫に入れてるし、買ってきたトレイのまま刺身をお客さんに出しても何とも思わないような、ちゃんとしてない人間だからダメなんだとか、泥酔して泣きながら言ってた」
(上記紹介本の文中より引用)

彼はここで、以前珠子のことを振った理由を遠回しに説明しています。
「どうでもいい小さなことで凹んで自己評価を勝手に下げる女はいやだ」
と言っているのです。

珠子は「当時読んだ雑誌に、そういう女は結婚できないって書いてあったんだよね」と説明しながら、「落ち込むとすぐ、自分が行き詰ってる原因をそういうちまちましたことに集約しちゃうんだ。今もあんまり変わってない」と答えます。
男友達は、そんな彼女に微笑みます。
 

男が許容できるこじらせ女子の臨界点はどこか?

上のシーンは非常にリアルです。
私が感情移入したのは当然男友達の方。

卵をパックに入れたまま冷蔵庫に入れる自分は「ちゃんとしてない人間だから結婚できない」と雑誌に言われ、鵜呑みにして落ち込む。
実につまらないです。
でも、男がこじらせ女子にうんざりするのは、実はそこではありません。
自分のことを客観視できず、感情に流されるままに自己評価を下げる女にうんざりするのです。

こじらせ女子のこじらせてるポイントは正にここにあります。
彼女らの大半は、情報収集に長けていて、それに対する論理的考察もほどこす。
それなのに自分のことだけ客観視できず、間違った判定を勝手に下してはそれを他者に押し付ける。
その矛盾というか、筋の通ってなさが、男性がドン引きする所なのです。


「以前の珠子のこういう所が苦手だった」と言う男友達に対して珠子は「今も変わってない」と言いますが、そんな彼女を見る男友達の目は昔と違って優しい。
彼の態度はなぜ昔と違って柔和になったのか?
それは珠子が客観性を獲得しているように見えたからです。
珠子本人は「(些細なことで落ち込む癖は)変わってない」と言いますが、彼からすればそこは大した欠点ではありません。
そんな自分馬鹿だよね、ちまちましてるよね、と冷静に評価できている珠子に安心した、だから彼は微笑んだのです。

アイドルとこじらせ女子は対極の姿勢で生きる

先日、自称こじらせ女子の友人と会話していたら
「アイドルと一般人の違いってなんだと思う?」と聞かれました。
私は「自己愛の表現の仕方の違いだと思う」と答えました。
アイドルの資格を得るには、自分が可愛い(又は格好いい)と自覚していることが大前提です。己の可愛さが商品なのに、商品が悪いなんて思ってたら商売が成り立ちませんから。
アイドルはみんな可愛いですが、審美眼は人それぞれです。一般人から「そんなに可愛くない」と心ないことを言われてしまうことは避けられません。
そんな時にこじらせ女子のように自己卑下できたら楽でしょう。「私は可愛くないって思ってるのに勝手に周りが持ち上げてるだけだ」と自己防衛できます。
でもそれだと商売が成り立ちません。だからこじらせたくてもこじらせることができないのです。

アイドルは多かれ少なかれそういうジレンマと闘いながら、「それでも私にはアイドルとして売り出す程の魅力がある」と大衆にアピールします。もしかしたら、そんなこじらせない矜持こそがアイドルをアイドルたらしめる人気の秘密なのかもしれませんね。

「アイドルと一般人の違いは自己愛の表現の仕方にある」と言ったら、こじらせ女子の知人はこう返してきました。
「わかるわー。私、自分のこと好きじゃないもん。自己愛ないからなー」

そういうことを言うからこじらせるのです。
こじらせ女子ほど自分のことが好きで可愛くてたまらない人種はいません。
自分のことが本当に嫌いだったら、アイドルの定義の話をしていて自分を引きあいに出すことなんて出来ないでしょう。彼女らは自分のことが大好きなのに、そのことを自覚する自信と勇気が無いがために、人から言われる前に先制して「自分はダメです」と釘を刺さずにはいられないのです。
固い防御をまとっているから、他人(とりわけ異性)はつけいる隙が無い。
可愛くないと言われても「私魅力ありますよ」と主張し続けるアイドルとはある意味真逆の存在ですね。自分から可愛いと言うことで他人に判断される余地を最大限に与えてくれる、だからアイドルは注目を浴びるのです。

他人が判断を下す余地を与えない。これがこじらせ女子の特徴です。
別にアイドルみたいにさらけ出す必要なんてありませんが、「可愛い」と人から褒められた時に素直に喜ぶくらいはするのが礼儀だと私は思います。他者が下した好意的な判断を、自分を守るために否定する権利はありません。
たとえお世辞であっても、お世辞を言ってもらえるだけの価値があったということです。それを冷静に受け止めて適切な反応を返すことが、客観性のある態度といえます。

ちゃんとしてなくて咎めるのは「世間様」だけ

基本的に男性のモテについて書いている当ブログですが、久しぶりに女子のモテ(というかこじらせ)について書きました。
しかも結構長い記事になりました。
一本書かせてしまうだけの魅力が「虹色と幸運」という小説の中にあったということですね。

「虹色と幸運」のテーマは「ちゃんとするってそんなに大事?」です。
主人公たちはことあるごとに自分はちゃんとしてない、だからいい年になっても大人になりきれてないし、人生のステージを上手くのぼれないんだと思います。
でも、ちゃんとしてないことに咎めるのって「世間様」だけじゃないかと思うんです。
「世間様」は目に見えません。親とか、地元のおじさんおばさんとかに「世間様」が憑依してきてうるさいことを言いますが、それはあくまで「世間様」の意見であって、親御さん個人から出た意見ではありません。

目に見える好きな異性や親しい友達は「世間様」を通じてではなくダイレクトにあなた自身を見てきます。その眼差しに、ちゃんとしているかどうかという視点はありません。見ているのは、ちゃんとしているかどうかではなく、あなた自身があなたの中にちゃんといるかどうかです。

他の誰でもない素敵なあなたは、あなたの中にちゃんと、いますか?
それをしっかりと確かめる所から、素敵な恋愛が始まるはずです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました!