ONE for GIRL,GIRL for ONE

同性愛者(♀)が独特の視点で恋愛とモテる方法について考察します。

こじらせ女とカン違い男の共通点 ~モテと恋愛の違いとは?~

どうもホニホニです。

シルバーウィーク始まりましたね!接客業の自分にはあまり関係ありませんが。

銀色週間のさなかにONE FOR GIRL~を読んで下さる方がいれば幸いです。(^^)

 

さて、前回の記事でホニホニはこんなことを書きました。

モテは、時に矛盾をはらみます。
「モテる=異性として素晴しい」ではなく、むしろ逆である場合があります。

そして僭越ながら岡田斗司夫さんを例に挙げて、人間性を捨ててモテるのとモテを捨てて人徳を高めるのとどちらがいいかについても書きました。

 

モテと恋愛が混同されやすい風潮

この問題に関してはいつも悩んでいます。

モテはある程度人間として大事な何かをかなぐり捨てた方が達成しやすい。

これは厳然たる事実です。

 

しかし、当然ながら、モテの先にある恋愛において人間性は最も重要です。

ここに多少の矛盾が生じます。

上手くモテても、モテたその先のステージでモテメソッドは通用しません。

モテとは全く別の論理が生じてくるのです。

論理の違いについては下↓の記事に詳しく書きました。

 

 「ONE FOR GIRL,GIRL FOR ONE」ではずっとモテについて書いてきました。

しかしモテについて書いているとどうしても延長線上の恋愛についても書かなければいけないので、ついモテと恋愛を混同させてしまいがちな書き方をしています。

 

先日、ネットでこんな記事を読みました。

joshi-spa.jp

 

『黄泉醜女 ヨモツシコメ』という小説の紹介記事です。

黄泉醜女 ヨモツシコメ

黄泉醜女 ヨモツシコメ

 

 

この小説は婚活連続殺人事件で死刑判決を受けた木嶋佳苗さんをモデルにした物語だそうですが、著者の花房観音さんがインタビューで興味深いコメントをいくつかしています。

花房さんは木嶋佳苗と、最近世を席巻している「こじらせ女子」を対極の存在として語ります。こじらせ女子は何より「モテ」と「愛され」を気にします。

 

世の中、ネットのコラムでも書店の「女性向けエッセイ」棚でも、どんだけみんな愛されたいんだ、モテたいんだと言いたくなるタイトルの記事や本が並んでいます。「モテ」とは他者により自己を肯定されることで、「恋愛」とは対極のものだと思っているので、それを一緒にするところから様々な悲劇が発生するのですが……。

 

「『モテ』とは他者により自己を肯定されることで、『恋愛』とは対極のもの」

まさにその通りなのです。

もっと言うと、その違いを認識している人こそが「モテ」の資格を得られるのかもしれません。

 

モテは必要。でもその先は?

モテると気分がいい。

自分の価値を認められた気になる。

恋愛や結婚の可能性も広がる。

それは確かです。大事なことです。

でも、良くも悪くもそれだけなのです。

その先の幸せを得るには、全く次元の違う価値観が必要になる。

 

という事を熟知しているから木嶋佳苗や岡田斗司夫はモテたのでしょう。

木嶋さんはモテ(≒お金を取れる人をつかまえる)作業と、恋愛をする作業を全く別物として捉えているように数々の発言からみてとれます。

岡田さんはそもそも恋愛をする気がなさそうなフシがありますね。自覚的に恋愛を捨てているのか、無意識で致命的に恋愛が下手なだけのかは分かりませんが。

 

花房さんの言葉を借りれば

「自分に自信を持ち、(自分を)愛して、(自分を)肯定する」と、人は他者を必要とすれど愛さない「個」になるのだと。それはある種、人ではなく「モンスター」です。悩みも苦しみも超越した生き物になるのですから。

 ということなのでしょう。

 

モテとはある意味、自分がモンスターになってしまうことです。

何もしないでもモテる人は、根にモンスターを飼っているのです。

だからモテない人がモテるには、自分がモンスターになってしまう覚悟が必要です。

 

でも恋愛や結婚は違う。

人と人の本質同士の、果てしない掛け合いです。

そこの違いを理解していないと、一時的にモテて勘違いしてしまう男性や、自分をうまく演出できないだけなのに無駄に自意識をこじらせる女性がどんどん生産されてしまうでしょう。